ラサアプソ
1928年、英国貴族で登山家のベイリー大佐によってチベットから英国へもたらされた。
1929年イギリスのショーで紹介され、オリエンタル・タリズマン・ドッグ(東洋のお守り犬)として人気を博し、1933年イギリス・ケンネル・クラブによって公認された。
この時の犬種名はラサテリアであった。
1939年、中国軍がチベットを侵略。
中国の侵略により大混乱に陥ったチベットでは、これより10万人余りのチベット難民が命からがら国境を越え、インドやブータンへ亡命していった。この時、家族同様に扱われていたアプソ犬もヤクの背中や、人々の懐に抱かれて6千メートル級のヒマラヤ山脈を越えた。1959年、14世ダライ・ラマ法王がチベットから脱出。
この時テズプールからムズリーへ向かう途中で、アプソ犬を抱いている法王の姿が世界中に報道された。14世ダライ・ラマ法王の伝記には、エベレスト登頂で名を馳せたシェルパ。テンズィン・ノルゲイ氏から献上されたアプソ犬、「タシ」の話しが詳述されている。
アプソが特権階級に飼われていた、という話はこの時に生まれたのであろうと推測される。が、チベットでの実態は乞食から遊牧民、高僧から貴族とあらゆる階層にアプソは可愛がられていたのであった。
1970年、英国ケネルクラブは、ラサテリアからラサアプソへ犬種名を変更した。

同じ年、日本で初めてラサアプソがJKCに登録された。32頭である。
その後、1979年に3桁の100頭が登録、バブル期の1990年代初頭に300頭越えたのをピークに、現在まで100頭前後で推移、今日に至っている。
このような不人気振りから、アプソは国内のショードックに出展されなかった。
またショーと無縁だったことが「業者にとって経済的メリットがない!」、現在問題提起されているショー用にデフェルメされ、カリカチュアされた西洋風ラサアプソが日本には入らなかったのである。むしろ欧米から消えつつある、原種に近いアプソ犬「顔の黒い、アーモンド型の瞳をした小さな犬」が国内に残されたのであった。「当クラブの写真参照。」

★2002年チベット文化研究所で、ふたりのチベット人ラマとペマ・ギャルボ所長にアメリカ・チャンピオンのアプソの写真を見ていただいた。この時「この犬は何犬ですか?」と質問された。そして答えを聞いた途端「これはアプソではありません!」と即座に断言された。アメリカ・チャンプは大きすぎ、重すぎ、強すぎ、異様な長さの首と鳩胸になり、長いコートをトレーンのように引き摺っていた。

★原種と現代の違いについての詳細は、チベットのラサアプソを支援するサイト。

Lhassa Apso Tibetain
http://www.tibetan-lhasa-apso.com/Us/UsFrm.html

また犬種の特徴などについては、英国をはじめ世界のWebサイトを参照されたい。

なお日本では近親交配がほとんどなく、2004年の現在までラサアプソの遺伝的疾患は報告されていない。
古よりダライ・ラマによって代々中国皇帝に献上された小さなライオン犬。正式にはアプソ・セン・カイと呼ばれた。

Apso(アプソとはチベット語で毛深い。)
Seng(センゲ。獅子すなわちライオンを意味します。)
kyi(カイ。犬。)

多くの犬史家が、アプソ・セン・カイはペキニーズやシーズー、日本の狆などの元祖犬であるとしている。