ラサアプソとチベット文化 |
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五十嵐 本日はラサアプソの話お聞かせくださるということで、楽しみにしてまいりました。どうぞよろしくお願いいたします。最初に名前の由来ですが、チベットでもこのように呼ばれているのですか? ペマ氏 チベットではアプソと呼ばれています。チベット語で毛深いと言う意味です。 五十嵐 先生のアプソ犬。センゲに付いて教えてください。センゲはチベットから来たのですか。
五十嵐 名前の由来を教えてください。 ペマ氏 センゲというのは獅子です。チベットでは犬によく付ける名前です。アプソは獅子に似ていますし、獅子は幸福をもたらすシンボルです。雪獅子と谷獅子がいて、雪獅子をチベット語でカンシン、谷獅子をタムシンといいます。 五十嵐 チベタン・マスチフも有名ですね。 ペマ氏 チベタン・マスチフは番犬として飼われています。この犬は声が素晴らしい。大きくて立派で素晴らしい声。欧米人は何もないマスチフを好みますが、チベット人は目のところに丸い輪の模様があるマスチフを欲しがります。犬は文化です。チベットの歴史と文化を象徴する犬がラサアプソとチベタン・マスチフなのです。ところで、あなたのこの犬はどこから来ましたか? 五十嵐 日本生まれですが先祖は英国です。トントンという名前のメスです。 ペマ氏 やはり英国ですか。この子が典型的なアプソです。センゲのお母さんもこの子にそっくり。それにしても、この仔は本当にいいアプソ。小さくて、黒っぽいこの顔。チベット人は犬の手入れをしないので汚れているように見えますが、アプソは本来黒っぽいのです。 五十嵐 歴史のひもを解くと、シーズーはアプソとペキニーズの混血と書かれています。しかし先日あるブリーダーにお聞きしたところ、アプソが一番古く、その後ペキニーズやシーズーが派生したとおっしゃっていました。紫禁城には、ペキニーズなどの室内犬を世話する宦官が三百人もいて、実際美しい刺繍の施された犬用のガウンも残っています。また、宮中での移動の時は、袖幅の広い宮中着の袖の中へ、着飾った犬を入れて移動したと伝えられています。 ペマ氏 その話は本当でしょう。当時中国の宮廷は、男子禁制でした。一説によると、これらの室内犬はここに住む女性たちを慰めるのに大いに役立った。女性たちがあんまり舐めさせたので、アブソの鼻が潰れてペキニーズやシーズーになった、子供の頃そんな話を聞かされました。 五十嵐 それは面白いですね。ところで、アプソは長い間ポタラ宮殿を初めとする寺院や、貴族などの特権階級だけに飼われていたとされていますが。 ペマ氏 それは、犬の格を上げる為に作られた話でしょう。実際は法王から乞食、巡礼者から遊牧民まで誰もが可愛がっていました。遊牧民が移動するとき、番犬は歩かせますが、アブソはバスケットへ入れて馬の鞍に乗せるか、自分の懐に抱いて行きます。小さな犬に過酷な旅はむずかしい。また乞食なども犬を連れていると、施しを多く貰えるので連れていた。 五十嵐 お寺には犬が沢山いたようです。紅衛兵がチベット寺院を襲ったとき、まず犬たちを殺したといわれています。 ペマ氏 もちろんお寺には犬がたくさん、乞食もたくさんいます。お寺に庇護を求めるからです。チベット仏教ではすべての生命を尊重しますので、彼らを追い払うことはしません。10年位前ですが私がチベットへ帰った時、犬がいなくなっていました。何処にも犬が見つからない。私は怒って中国の役人に言いました。あなた達は、寺院や文化を破壊するだけではなく、チベットの犬まで殺してしまった、と。 五十嵐 最近はどうなのですか? ペマ氏 ここ四.五年前からようやく犬が増えてきました。 五十嵐 先生は何年前に日本へいらしたのですか? ペマ氏 33年前です 五十嵐 その時犬は一緒だったのですか? ペマ氏 いいえ。我が家にも犬がいましたが、連れて行けませんでした。私たち一族は、ダライ.ラマ法王のすぐ後の隊でした。そこで「もし犬が吼えて法王に危険があってはならない!」という父の配慮でした。でも法王がチベットから脱出し、テズプールからムズリーへ向かう途中、アプソを抱いていました。アプソを抱いている法王の姿は、写真に撮られ世界中に報道されました。おそらくその写真から、法王の寵愛を一身に受けている高貴なアプソ犬という伝説が生まれたのでしょう。 五十嵐 ダラムサラに在る、法王の今のパレスにも犬がいるのですか? ペマ氏 いると思います。法王はどんな犬も可愛がりますし、アプソだけではなく、他の犬たちもいる筈です。そうそう、私の伯父は財産も何も持たず、アプソだけを着物の懐へ抱いてインドへ亡命したのですよ。財産より犬の方が大切です。犬は命があり家族です。チベットでは命あるものが最も大切なのです。 ペマ氏 面白いですね。お寺には犬がたくさんいますし、リンポチェ(活仏)や高僧は、自室に自分の犬を飼っています。それで、高僧が着ているタガンという着物から、犬が何匹も飛び出してきた。そういうことがよくあるのです。小僧たちは、集団で寝起きしているので自分の犬が持てません。本堂にも犬は入れません。でも他のいたる所に犬がいます。また高僧たちが自分の犬を持っていた理由は、犬に毒味役をさせていたといわれています。 五十嵐 前代のダライ.ラマは毒殺で夭折したそうですね。 ペマ氏 ええ。犬は毒が入っている食べ物は絶対に食べません。嗅覚が発達しているので、腐った物も食べません。センゲは朝、私が歯を磨くとようやくキスしてくれるのです。 犬は正直なので信頼できます。 五十嵐 チベットではアプソが「御神犬」と呼ばれているとか。 ペマ氏 そんな話は知りません。 五十嵐 飼い主が亡くなると、その魂が犬に宿るからと書いてある本を読みました。 ペマ氏 逆です。人間が犬に生まれ変わるのです。チベット仏教の根底に輪廻転生があります。仏教では死後、極楽浄土の天界へ行くのが最高なのですが、そこへ行ける人はごくわずかです。でもチベット人はできれば死後、苦しみのない極楽浄土へ行きたい。そこで解脱を志して祈りや修行を積むのです。極楽浄土の次は神になることです。でもチベット人は、誰も神になりたくない。神と悪魔は同じです。例えば死後、神に生まれ変わったとします。その神の為に、誰かが何かをする。その何かが、他の誰かにとって苦しみをもたらすかも知れない。 五十嵐 神と悪魔は表裏一体ということですね。 ペマ氏 その通り。天界へ行けないのなら、再び人に生まれ変わりたい。しかし魂が成仏できない時、人に転生する前の段階の犬に生まれ変わるのです。チベットには犬にまつわる話がたくさんあります。 五十嵐 ひとつお聞かせください。 ペマ氏 ある男が自分の子供ばかり可愛がって、犬に邪険にしていました。でも本当は、その子供はまったくの他人で、犬が彼の死んだ母親だったのです。死んだ母が犬に生まれ変わって、今度は息子に可愛がってもらう。私の犬は、私の身内かもしれない。ですからチベット人にとって、犬は自分の家族なのです。 |
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終わり |
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2004年 6月16日 チベット文化研究所にて |
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『全ての生き物は、前世の行いの良し悪しによって六つの世界、地獄界.餓鬼界.畜生界. 阿修羅界。人間界.天界.の中で無限に生と死を繰り返している。この輪廻の輪から抜け出す事が解脱と悟りである。』 |
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