2004 6/19   P−Time(前編)

チベットの少女
「暑い暑い」という人は冬になると「寒い寒い」と騒ぐのです。
と言ったのWebデザイナーのH間氏だが、この日の東京は6月とは思えない猛暑であった。新橋も暑かった!
ナウシカ大丈夫かな?
私は小さな美少女犬に思いを馳せ、焼け付くアスファルトの照り返しにヨタヨタしながら、新橋のチベット文化研究所を尋ねた。
本日は待ちに待ったペマ・ギャルボ所長のP−Time・茶話会だ。
今回はクラブのホームページを更新するに当たって、ペマ先生にチベット語でクラブ名を書いていただく予定だ。私は以前より、チベット文字の流麗な美しさと品格に魅せられていた。あの優雅な筆致の文字がHPに入れば、それだけお互いを結ぶ文化の絆が強くなろうというものだ。
すでに根回しは万全。私は本家の圧力で、東京へ嫁入りさせた分家のナウシカを呼び出していた。こうなったらチベットの物乞いだ。美少女戦士ナウシカと、書いてもらえるまで五体投地だ。私は燃える闘魂を胸に文化研究所の門を叩いた。
壁にタンカが掛かり、ダライ・ラマ法王の肖像画と仏壇が設置された部屋はチベットの色彩に溢れている。
「ご無沙汰しております。ラサアプソ・クラブのボンボンママです。本日は宜しくお願いします。」
ご挨拶したものの、狭い部屋はペマ・ギャルボ先生を囲んで座るところがないほどだ。
先生はチベットが現在置かれている政治状況を話されていて、皆熱心に耳を傾けていた。
隣にはミュージシャンのようなラマ.ウゲン師が、穏やかな表情で座っていた。
褐色の肌が引き締まった身体をひき立てカッコイイ。私は手帳を開くとペンを走らせた。
「ラマが男前」
白金マダムからの情報では、先生の愛犬センゲが死んだという。
それにしては先生は恰幅も良く、声も張りがあり、憔悴した様子がない。
そこへ会報誌編集長、関根さんが、お茶とお菓子を運んでくださった。チベットといえばバター茶だが、出てきたのは煎茶であった。冷たいビールを飲みたいところだが、煎茶もさっぱりしておいしい。
真打登場。ナウシカがママと一緒に入って来た。
外の熱風に吹かれて、はぁはぁ舌を出しているナウシカ。
リボンが曲がり、前髪が全部おりて苦しそうだ。3ヶ月ぶりに会うナウシカは、声をかけるとすぐさま尻尾を振って答えた。駅から歩いてきたナウママも汗が噴き出している。
ともかくじっとしていても全身に汗が流れていくのだ。
皆が一斉にこちらに注目した。この犬はなんだ?
ベマ先生とナウシカ
ペマ先生が相好を崩して、ナウシカを紹介した。
「日本にはチベット人だけではなく、チベットの犬もいるのです。」さあこっちへどうぞ。
そう言って、フワフワのベビー毛が残っている仔犬を抱いた。
似合う!
ペマ先生がラサアプソを抱くと、まるで上野にある西郷さんと日本犬のようにマッチした。これが伝統とというものか・・・。私は思わず唸った。
5キロのナウシカは、その大きな懐にぴったり納まるのである。
次に男前のラマ・ウゲン師が抱いた。
するとオレンジのシャツにナウシカのライオンカラーが映え、チベットの子獅子が現れた。背景のダライ・ラマ法王の肖像がいっそう気分だ。
私は、デープな世界に見とれて写真を撮るのを忘れた・・・(つづく)