美しき日々〜レイ・ドッグウォーカー

2004 10/4(前編)

30年前、水を買うなんて思いもよらなかった。
30年前、犬の散歩が職業として成立するなんて誰も予想しなかった。
現在私たちはミネラルウォーターを買い、
犬を散歩させるプロをドッグウォーカーと呼んでいる。
犬が最も楽しみにしている一日の行事は散歩だ。
散歩=生きがい 散歩=命 散歩=至上の愛と断言出来るほどだ。
犬との散歩は楽しい。辛いときもあるが、たいていは楽しい。
散歩は犬と飼い主の小さな旅だ。
ところが飼い主だけ旅行へ行くことになり、犬を置いていくことになった。
ペットホテルへ預けるか、留守中の犬の世話を誰かに依頼するかそれが問題だ。
後者を選んだとき、人選に頭を悩ませることになる。
わが子同然にかわいがっている愛犬だ。
できれば犬に対する知識があることが望ましい。
獣医とまでいかなくとも、異変があれば直ちに対応できなければ困る。
鍵を預けるのだから信頼できる相手。
ただし、飼い主が気に入っても犬との相性が悪くてはダメだ。
愛犬家で犬に優しく、飼い主には礼儀正しく、なおかつフレンドリーなこと。
出来れば知性があり、颯爽とした大人。
酸いも甘いも噛み分け、咄嗟の判断力もあり、辛抱強く、見栄えが良く、
褒め上手で忍耐強く、獣医も一目置き、しかも料金はリーズナブル。
そんな人に愛犬を任せたいのだ。たかが犬の散歩に・・そんなのいるか・・・・
とつぶやきのテンテンがいつまでも続く愛犬家。
ところが日本一ハイソの誉れ高い港区、白金にいるのだ。
吉田憲次。通称レイ。愛玩動物管理士1級。
エレガントな身ごなしと引き締まった肢体のドッグウォーカーである。
どんな駄犬でも彼がリードを引いた途端、名犬に変身してしまう。
レイはカッコイイのだ。
エリアは港区、品川区、目黒区。料金は大・中・小いずれでも一時間2500円。
ペットシッターではないので、犬を預かることはしない。
留守宅のオーナーから事前に鍵を預かり、
決まった時間に出向いて犬の散歩とご飯を請け負う。
またその際は郵便物を入れ、玄関の明かりを点け、飲み水とケージを清潔にする。
ニューヨークでは、ドッグウォーカーが一度に20頭引きくらい連れている光景を
目にするが、舗道が広くない東京で、レイは原則として犬の多頭引きをしない。
例外は、同じ家庭で飼われている犬たちだけだ。
そのため狭いエリアにもかかわらず、一日に7回7時間歩き続けたこともあった。
レイの愛犬はオスの紀州犬である。
季刊「森のクラス会」(この生き方に学べ)で彼は翔←ショウと掲載された。
http://www.kinomori.co.jp/homemenu.html

翔は今年14才。下半身麻痺のため車イスがなくては歩けない。
「森のクラス会」では、レイが車イスにのった翔の脇にすっと立ち、
信号が変わると細身の引き締まった体で風を切るように歩いて行く姿を捉えている。
翔とレイの出会いは獣医だ。

真っ白い仔犬がケージから漆黒の瞳をキラキラ輝かせ、入って来たレイを無心に見つめていた。彼はこの仔犬の後ろ足が伸びきっていたことにすぐ気がついた。
仔犬はマンションの6階から階下の4階へ落ちたのだ。
そのため脊椎の神経が切断、半身麻痺の診断が下された。それだけではない。
問題は獣医につれて来られたものの、オーナーが仔犬の治療を拒否、
その上引き取りも拒否していたのである。
このままでは選択できる手段はひとつしかなくなる、と獣医が洩らした。
レイは愛犬の薬を貰って帰ったものの、その日一日仔犬のことばかり考えて過ごした。
そして翌日あの獣医へ行き、里親を申し出た。


仔犬はいつか飛ぶように走れる日が来るようにと「翔」と名づけられた。
その後、さまざまな治療を試みたが翔の神経は回復しなかった。
翔は現在も自力で排泄できない。レイが毎日、圧迫排尿を施し便はうながす。
バスタオルは日に7−8枚換え、食事は前足で上体を支えて取る。
散歩は特別誂えの車イスに乗って1時間たっぷり歩く。
翔の散歩は紀州犬らしく凛として、惨めなところなど微塵も感じさせない。
レイはそんな翔が誇らしいのだ。
その頃レイの家にはもう一頭ダイスケという雑種がいた。散歩中彼は必ず翔をサポートした。犬同士の絆は深く、サポートはダイスケが亡くなる日まで続いた。